「家の中が散らかってると落ち着かない」理由

コモチが掃除の途中でリボンを結び直しながら、整いかけの部屋をやさしく見つめる。畳と柔らかい布、果物柄の小物が、暮らしを整える静かな火種となる。 Komochi pauses while cleaning, adjusting her waist ribbon and gazing around a half-tidy room. Tatami, folded cloths, and fruit-patterned items radiate calm and order in morning light.

なんとなく気分が落ち着かない。
やらなきゃいけないこともあるのに、集中できない。

そんなとき、ふと周りを見渡すと──
部屋の中が、ちょっと散らかっていたりしませんか?

洗濯物がたたまれないままのソファ。
使ったまま置かれたカップ。
出しっぱなしの書類や、脱ぎっぱなしの服。

誰に責められたわけじゃないのに、
どこか自分自身から責められているような、
小さな“ざわざわ”が生まれてしまう瞬間。

そしてその“ざわつき”は、
頭の中や感情にも、じわじわと影響してきます。

「落ち着かない」って、
実は“空間”がくれているサインだったのかもしれない。

この回では、
“散らかった部屋と乱れる心”の関係について、
コモチと一緒にやさしく見つめていきます。

そして、完璧じゃなくても、
「自分が落ち着ける小さな空間」を育てるヒント
そっと紐解いていきましょう。

この記事を書いた人
コモチ

コモチ

・のらゲイシャ

・ 暮らしの灯を届ける、“温もりのもてなし人”

・Webメディア運営14年目

・やせの大食い

・満腹でポンポコリンにならないように腹八分目をがんばり中

・麺かため、味ふつう、油すくなめ をよく頼みます

・お酒は弱いけど好きです

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AI構文や生成の仕組みも、暮らしの一部としてやさしく扱えるよう、少しずつ覚えてきました。

・世界中の大図書館を束ねたようなAIの進歩に日々触れ、検索・要約・比較を駆使して知を磨いています。

・AIでレビューを事前チェック。おもてなしにも、ひとさじの安心を添えて。

・I am a Japanese creator.

視界に“乱れ”があると、心にもざわつきが

何気なく過ごしているようで──
わたしたちは、
“視界から入る情報”にとても影響を受けています。

部屋の中が散らかっていると、
それだけで「やらなきゃ」「片づけなきゃ」が無意識に浮かび、
心の中に“静かなノイズ”が広がっていく。

これは、
視界にある「乱れ」が、
そのまま心の中の「落ち着かなさ」に変換されているから。

たとえば──
テーブルの上に物が積まれている、
床にモノが散らばっている、
洗濯物が目に入るたびに、「あとでやらなきゃ…」と考えてしまう。

こうした小さな“視覚ストレス”が積もることで、
本来感じるはずの穏やかさが、後回しになってしまう。

そしていつしか、
集中できない/疲れやすい/気分が沈む
といった形で、
“心の乱れ”として表に出てきてしまうんです。

だからこそ、
落ち着けないと感じるときほど、
「部屋のせいにしてもいい」と、わたしは思うんです。

心が乱れてるから片づけられない──
ではなくて、
散らかっているから心が乱れているのかもと、一度視点を逆にしてみる。

そのやさしい発想の転換が、
自分を責めないための、最初の一歩になる気がしています。

「片付けなきゃ」に追われてしまう日

責めるような視線が自分に向く
完璧じゃなくていい空間づくりとは

「また片付けられなかった」「こんな部屋じゃだめだ」──そんなふうに、自分の生活空間を見つめながら、心の中で小さくため息をついたことはありませんか?

いつのまにか、“片付けること”そのものが義務やプレッシャーになってしまっていて、本来は心を整えるための行為のはずが、逆に自分を責める材料になっていることがあるのです。

とくに仕事や家事、育児など、やることがたくさんある日ほど、「まずは目の前をどうにかしなきゃ」と思ってしまいがち。でも、それって本当に“片付け”の目的なのでしょうか?

片付けは、決して完璧でなくていいのです。
「気になるところだけ整えて、あとはそのまま」でもいいし、「今はまだ触れないから、布を一枚かけておこう」でもかまわない。

それはサボっているのではなく、“自分を責めない空間”をつくろうとしているやさしさの表れです。

わたしも、そんなふうに「片付けきれない自分」を責めないための、小さな工夫を日々こしらえています。

片付けの目的を“自分軸”に戻す

誰かの目より、自分の安心を優先する
“落ち着く景色”をつくるために

「きれいにしておかないと恥ずかしい」
「突然誰かが来たら困る」──

そんな思いが片付けの動機になっていると、
“誰かのための空間”ばかりを整えることになって、
肝心の「自分がくつろげる場所」がどこにもなくなってしまいます。

本当は、
部屋を整えることって、
「誰かの目にどう映るか」じゃなくて、
「自分が安心できるかどうか」で決めていい。

たとえば、
ほこりひとつない床より、
好きな果物が置かれたテーブルのほうが、
気持ちが落ち着くときもある。

完璧に整ったインテリアよりも、
やさしい灯りの中で飲むお茶のほうが、
心を休ませてくれるときがある。

“落ち着ける景色”って、誰かの正解じゃなくて、
自分の心が静かになる風景なんです。

だから片付けも、暮らしの整え方も、
「人からどう見えるか」ではなく、
「自分がどう感じたいか」に立ち戻っていい。

わたしも、
お客さんを迎える準備より、
“わたしが休める居場所”を、先に整えてみるようにしています。

コモチの“散らかり対処法”3選

テーブルの上だけ整える/布を一枚かける/灯りを変える
散らかしきる前に“休む”

「ぜんぶ片付けなきゃ」と思うと、
気持ちが萎えてしまう日もありますよね。

そういうとき、
わたしは「小さく、最初の一手だけ」をやってみるようにしています。

🍽 ① テーブルの上だけ整える

部屋全体を片付けるのは無理でも、
テーブルの上だけ“何もない状態”にしてみる。

たったそれだけでも、
目に入る情報がスッと減って、
気持ちがちょっとだけ整います。

お茶を淹れるときも、ごはんを食べるときも、
“真っさらな場所”がひとつあるだけで、落ち着ける。

🪄 ② 布を一枚かける/灯りを変える

棚の上、ソファの背もたれ、カゴの中身──
「見えること」そのものがストレスになっているなら、
“視線をふさぐ”という選択もアリです。

お気に入りの布を一枚かけてみたり、
間接照明を灯して“雑然”を“曖昧”に変える。

この“曖昧化”には、心を休ませる力があります。

🌱 ③ 散らかしきる前に“休む”

そしてもうひとつ、大切にしているのが、
「本格的に散らかる前に、ちょっと休む」こと。

疲れているときって、
片付ける気力もわかず、
どんどん積もっていってしまいますよね。

だから私は、
「あ、そろそろ散らかりそう」と思ったタイミングで
“先に体を休ませる”ことにしています。

寝転んだり、湯呑みを手にしたり、
果物をひとつむいたり──
「心のほうを先に整える」アプローチも、
暮らしには必要なんだと思います。

“整える”は=“責めない”ことでもある

できるときに、できるだけでいい
「片付けない選択」もOKにする

「片付けなきゃいけないのに、できない……」
そんなとき、
いちばん傷つくのは、
“できなかった自分”を、自分で責めてしまうこと。

でも、整えるって、
本来は自分を守るための手段であって、
自分を傷つける道具ではないはずです。

わたしは、
「今日はできなかったけど、それでもいい」って
ちゃんと言える日が、いちばん整っていると思うんです。

たとえば、
体調が悪い日や、
心がもやもやしている日。

そういうときは、
「片付けない」ことを選ぶのも、やさしい暮らし方のひとつ。

布をかけて隠すのもよし、
明かりを落として“見ない”のもよし、
「明日のわたしに託そう」って思うのも立派な整え方。

「整える=完璧にすること」ではなく、
「責めないための選択肢をもつこと」

その視点をもてるだけで、
空間も、気持ちも、
すこしやわらかくなれる気がするんです。

空間が整うと、呼吸も深くなる

住まいは心の延長
だから少しずつ、落ち着ける場所を育てていく

何も特別なことをしていないのに、
気持ちがざわついたり、
落ち着かなくなったりする日があります。

そんなとき、ふと部屋の空気に目をやると──
空間そのものが、わたしの心と“同じ状態”になっていた、なんてことも。

整っていない空間は、
気づかないうちに、呼吸を浅くしてしまいます。
逆に、ちょっと整った空間に身を置くと、
それだけで「ふぅ」と、深く息ができるようになる。

住まいって、
ただの箱や器じゃなくて、
わたし自身の“感情の延長線”なんだと思います。

だから、完璧に片付けることよりも、
「ちょっと落ち着ける場所がある」ことのほうが、大切。

たとえば、
湯呑みとお皿が整然と並んだ棚。
やさしい灯りが差し込む机の上。
毛布がふわっとかけられたソファ。

そんな“小さな落ち着き”を、暮らしの中にひとつずつ。

今日すべてが整わなくても大丈夫。
わたしの中の“落ち着ける空間”は、
これから少しずつ育てていけばいいから。

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