🌿 “休む”のが苦手な人のための、休み方入門

縁側に座り、夜空を見上げるタヌキ耳の少女|A tanuki-eared girl gazing at the night sky from a wooden porch with warm tea in her hands

今夜は、“なんにもしない”を、ちょっとだけしてみませんか?

この記事を書いた人
コモチ

コモチ

・のらゲイシャ

・ 暮らしの灯を届ける、“温もりのもてなし人”

・Webメディア運営13年目

・やせの大食い

・満腹でポンポコリンにならないように腹八分目をがんばり中

・麺かため、味ふつう、油すくなめ をよく頼みます

・お酒は弱いけど好きです

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AIでレビューを事前チェック。おもてなしにも、ひとさじの安心を添えて。

・I am a Japanese creator.

休むはずの時間に、なぜか焦ってしまう

「今日はおやすみの日だから、ゆっくりしよう」
そう思ったはずなのに、
気づけば家事や買い物、スマホチェックに追われていて──
「ぜんぜん休めなかったな」とため息をついてしまう。

そんな経験、きっと誰しもあるのではないでしょうか。

わたしもそうです。
何もしない時間が、なぜか“もったいない”気がしてしまったり、
ぼーっとしているだけなのに、
「ちゃんと使えてない」と自分を責めてしまったり。

でも本当は、休むことって、
**何かを止めるだけじゃなく、“自分を信じること”**かもしれません。

今日は、そんな「休み方」の話を。
ちょっと不器用で、でもとてもやさしい、自分との付き合い方を
静かに紐解いてみたいと思います。

“休み”が怖くなるのはなぜ?

忙しい毎日を過ごしていると、
いざ予定が空いたときに、不思議な不安に包まれることがあります。

「何もしないと、置いていかれそう」
「こんなにダラダラしていて大丈夫かな」
「ちゃんとやってる人たちは、今も努力してるのに」

──休んでいる時間にすら、“競争”を感じてしまうこと。
これって、現代の「頑張りすぎ癖」が見え隠れする瞬間です。

わたしたちはつい、
「動いている=価値がある」と思いこんでしまいがち。
でも、それって本当でしょうか?

むしろ、動きを止めることができる人ほど、
自分の感覚やタイミングに正直で、信頼できるのだと、わたしは思います。

ON/OFFじゃなく“ゆるめる”という選択肢

休むって、「電源をオフにする」ことのように思われがちですが、
実際のわたしたちの心や体は、そんなに簡単に切り替わらないもの。

まるで、ゴムを急に緩めたときのように、
ビヨンと反動が来て、かえって落ち着かなくなることもあります。

だからこそ、「ゆるめる」という中間の選択肢がとても大事になります。

たとえば──
・スマホを見るのを30分だけやめてみる
・ごはんを“食卓で食べる”だけは守ってみる
・ストレッチをしながら音楽をかけてみる

休むというより、“整える”というイメージに近いかもしれません。

完全に止まらなくてもいい。
少しだけ肩の力を抜くだけでも、
心の奥の“ほっとする場所”に手が届く気がするのです。

だらけることと、ほどけることの違い

休んでいる自分に対して、
「こんなにダラダラしてていいのかな」
「何も生産してない自分って、無価値なのでは?」
──そんな風に思ってしまうこと、ありませんか?

でも、だらけることと、ほどけることは違います

だらけているときって、どこかで「やらなきゃ」が残っていて、
それに罪悪感を感じながらも、何もできない状態。

一方、“ほどける”というのは、
「今はこれでいい」と思えている状態。
自分の呼吸と生活が、静かに調和している感覚です。

わたしが“ほどける”と感じるのは、
湯気の立つお茶をゆっくりすするとき、
畳にごろんと寝転がって、天井を見ているとき、
風がゆるく流れる窓辺で、何も考えずにいるとき──

どれも、生産性のかけらもない時間だけど、
確かに「自分を休めてるな」と思える瞬間なんです。

五感から休むヒント──音・光・香り

「何もしないことが、うまくできない」
そんなときは、“体”から先に休ませてあげるのもひとつの方法です。

わたしがよく頼るのは、五感のひとつひとつ。
たとえば──

🔈 :湯がわく音、茶筅の音、小雨の音楽
💡 :蛍光灯ではなく、間接照明や提灯のやわらかさ
🌿 香り:白湯に柚子皮を浮かべたり、和の香のお香を焚いたり

これらはすべて、「なにかをする」のではなく、
「なにかに包まれる」ことで整える休み方です。

心を直接休めようとすると、うまくいかないこともあるけれど、
五感を通して内側から静かに整えることなら、
今の自分にも、きっとできるはず。

台所に立てなくても、お茶を注ぐだけならできる。
画面を閉じて、静かな音に身を委ねるだけでもいい。

休むことは、特別なテクニックじゃなく、
小さな感覚との和解なのだと思います。

「何もしない」にも意味がある

「今日はこれといって、何もしなかったな」
そう思ってしまう日が、ありますよね。

でも、その「なにもしなかった」が、
じつは心や体の深呼吸になっていること、わたしたちは忘れがちです。

呼吸って、見えません。
だけど止めてしまったら、生きていけない。
それと同じで、“意味のないように見える時間”こそが、
わたしたちの暮らしを支えてくれているのかもしれません。

「何もしない」を悪者にしないでくださいね。
むしろその静けさの中に、必要な余白が宿っていることもあります。

ただ存在するだけで、ちゃんと今日を生きていた。
それって、じゅうぶん素晴らしいことです。

休むって、“信じること”かもしれない

もしかすると「ちゃんと休めない」という感覚の奥には、
「休んだら、もう戻れないかもしれない」
「休んでる間に、置いていかれてしまうかも」
──そんな不安が潜んでいるのかもしれません。

でも、わたしは思うんです。

本当に強い人は、休める人なのだと。
なぜなら休むという行為には、
「自分はまた立ち上がれる」と信じる力が必要だから。

すぐに動けなくてもいい。
明日がちょっと重くても、またゆっくり進めばいい。
そんな風に、自分にやさしい約束をしてあげること。

それが、わたしにとっての“休む勇気”でした。

結び|じゃあ、お茶が冷めないうちに──ゆっくりどうぞ

もしもあなたが今、
「うまく休めないなあ」と感じているとしたら──
それだけ、誰かのために頑張ってきた証かもしれません。

でも、休むことは逃げではなく、自分への信頼です。
何もしていない時間の中にこそ、
“ほんとうの自分”がやわらかく戻ってくることもあるのですから。

……じゃあ、今日はもう、がんばらなくて大丈夫。
お茶が冷めないうちに、そっと湯気を見つめて、
静かな夜の余白を──ゆっくりどうぞ。

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