今夜も、ほんの少しだけ、手を動かしてみませんか?
目次
ぐったりしてるのに、台所に立ってしまった夜
「もうクタクタだから、何もしたくない」
……はずなのに、気づけば台所に立ってる。
食材を取り出して、鍋に火をつけて、
なんとなくいつものようにごはんを作っている自分がいる。
こういう夜って、不思議ですよね。
身体は正直に「疲れた」と言ってるのに、
なぜか“手を動かすほう”を選んでしまう。
今日はそんな、矛盾してるようで自然な、
**「疲れてるのに自炊してしまう気持ち」**を、そっと見つめてみたいと思います。
「やらなきゃ」が体に染みついている?
料理って、どこか“生活の義務”のようなイメージがあります。
食べなきゃならないし、誰かの分もあるかもしれないし、
冷蔵庫の中身を腐らせたくないし──
気がつけば、「自炊=やらなきゃいけないこと」になってる。
でも本当は、**「今はちょっと無理かも」**って思う気持ちだって、
ちゃんと正直なサインなんですよね。
それでも手が動いてしまうのは、
身体に“やらなきゃ”の癖が染みついているからかもしれません。
食卓を整えること=ちゃんと生きている証。
そんな風に思えてしまう人ほど、
「何もせずにいる自分」を許すのが苦手だったりするのかもです。
“誰かに見せるため”じゃない食卓
疲れているときって、本来は、
誰にも見られたくないような気持ちになりませんか?
それなのに、
「食事だけはちゃんとしたものにしなきゃ」
「せめてこれくらいは、やっておこう」
──そんなふうに、自分に“ちゃんと”を課してしまう。
でも、それってほんとは、誰かの目を気にしてるわけじゃない。
たぶん、**「自分自身の目」**がいちばん厳しいのです。
だからこそ、
ごはんをつくるという行為が、
「見せるため」じゃなく「支えるため」になったとき、
その台所の空気が、ふっとやわらかく変わる気がするんです。
自分を責めるためじゃなく、
守るために手を動かす。
──それって、とてもあたたかい自炊だと思います。
料理は、無意識のセルフケア?
「作らなきゃ」って思って始めたはずなのに、
野菜を切っているうちに、
煮える音を聞いているうちに、
気持ちが少しだけ落ち着いてきた。
そんな経験、ありませんか?
料理ってじつは、
**“五感を使う静かなケア”**でもあるんです。
・包丁のリズム
・湯気のにおい
・じゅわっと音が立つ瞬間
これらはぜんぶ、
自分の外に向いていた意識を「今ここ」に戻してくれるもの。
意図せず料理を始めてしまうときって、
実は自分が「休ませて」と言えなかった感情を、
台所で癒そうとしているのかもしれません。
疲れてるからこそ、“手を動かす”を選ぶ心理
疲れているとき、
「何もしたくない」と思っているはずなのに、
なぜか“動いたほうが楽”に感じることってあります。
実はこれ、よくある反応なんです。
心が疲れているとき、
じっとしていると、余計な考えごとや不安がふくらんでしまって、
かえって“つらさ”を強く感じてしまうことがあります。
そんなとき、手を動かすことで
「わたしはここにいる」「ちゃんと存在してる」と、
静かに自分を確かめているのかもしれません。
料理って、実際には大変な作業だけれど、
感情が浮かばないときの“確かな動作”として
選ばれやすいものなのだと思います。
だから、動いてしまった自分を、責めなくて大丈夫です。
それは、休めなかったんじゃなくて、
**“別の形で休もうとしていた”**のかもしれないから。
「なんとなく」で動く自分を、否定しない
「なんとなく作り始めちゃった」
「つい手が伸びて、包丁持ってた」
……そんな自炊にも、ちゃんと意味があります。
理由や目的を後から探そうとすると、
「ちゃんとしてなきゃダメだったのに」
「もっと休めばよかったのに」
──と、自分を責める言葉が湧いてきてしまう。
でも、“なんとなく”って、
身体や心が選んだ、自然な選択でもあるんですよね。
言葉にできない状態のときこそ、
感覚のほうが先に動いてくれることがある。
だからこそ、わたしは
「動いちゃった自分」を否定しないようにしています。
行動の理由があとからついてくる夜があっても、
それはそれで、ちゃんと“やさしい選択”だったんです。
“わたし”を取り戻す夜ごはん
ひと口目を食べた瞬間、
「ああ、わたし、ちゃんとおなか空いてたんだな」って、
ふいに気づくことがあります。
そのとき、
ただ空腹が満たされる以上に、
心の中の輪郭がふっと戻ってくるような感覚があるんです。
「今日のわたしはここまでがんばった」
「今夜はここまででいい」
──そんな風に、自分と目を合わせるような時間。
台所に立ったこと、
切ったこと、
温めたこと、
味見をしたこと、
器に盛ったこと。
それらすべてが、
自分に「おつかれさま」と言うための、静かな儀式だったのかもしれません。
わたしにとって自炊は、
ときどき、自分を取り戻すための夜の合図になります。
結び|……おかえりなさい、自分
もし今、
疲れているのにまたごはんを作っちゃった……
って、肩を落としている夜だとしたら──
大丈夫です。
それは、「動いてしまったこと」が悪かったんじゃなくて、
あなたなりの休み方だっただけなんです。
ときには、火を使わずに休んで。
でもときには、手を動かして安心を得て。
そんなふうに、自分の選んだ夜を信じてあげてくださいね。
……ほら、鍋から上がる湯気のむこうに、
ちゃんと“わたし”が戻ってきている。
今日の台所にも、灯りがともっている。
おかえりなさい、自分。