🍚 ごはんを作る気力がない日に助けられた3品

温かな湯気に包まれて食事をとるタヌキ耳の少女の横顔|A tanuki-eared girl quietly having a warm meal, surrounded by gentle steam and lantern light

今夜も、お湯だけは沸かしてみませんか?

この記事を書いた人
コモチ

コモチ

・のらゲイシャ

・ 暮らしの灯を届ける、“温もりのもてなし人”

・Webメディア運営13年目

・やせの大食い

・満腹でポンポコリンにならないように腹八分目をがんばり中

・麺かため、味ふつう、油すくなめ をよく頼みます

・お酒は弱いけど好きです

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AIでレビューを事前チェック。おもてなしにも、ひとさじの安心を添えて。

・I am a Japanese creator.

キッチンに立つ気になれない、そんな夜のこと

冷蔵庫の前でしばらくぼーっとしてしまう日があります。
買い物もしてないし、料理する気力もないし、
でも、なにか食べなきゃ──そんな夜。

おなかは空いてるのに、心のほうがくたびれていて、
コンビニに出かける元気もない。

そんなとき、わたしの背中をそっと押してくれたのは、
「簡単なのに、ちょっと安心できる」ものたちでした。

料理じゃなくていい。
ごちそうじゃなくていい。
“いまの自分”が食べられる、たった3つのごはんの話、
今日はそんな夜の火種を少しだけ、分け合えたらと思います。

「料理=やる気がある人のもの」じゃない

「今日はもう、ごはん作る元気ないな……」
そんなふうに感じたとき、どこかで小さな罪悪感が顔を出します。

料理しない自分は、怠けてる?
栄養が偏ってしまう?
ちゃんと暮らせてない?

──そんな声が、内側でささやくように響く夜って、ありますよね。

でも、料理って本来は「やる気のある人」だけのものじゃないはず。
気力がなくても、生きてるだけでちゃんとえらいし、
食べることは、生活の一部であって戦いじゃない。

だからわたしは、自分にこう言うようにしています。
「今日は、“作らないごはん”でもいいんだよ」

“ちゃんと食べる”って、形じゃなくて、
自分をいたわる心のほうにあるのかもしれません。

火を使わなくても、“食べた”感はつくれる

気力がゼロに近い日、わたしがよく助けられてきたのは
こんな3つのごはんです。

🫛 その1|冷奴+ごま油+塩
──お豆腐を器にのせて、ごま油と塩をちょん。
まるで料理じゃないけれど、やさしい満足感があります。

🍙 その2|炊きたてごはん+ふりかけ
──お米だけ炊ければ、それだけでOK。
好きなふりかけをかける時間が、ちょっとしたご褒美に。

🥣 その3|粉末スープ+お湯
──カップにお湯を注ぐだけ。
味噌汁やコンソメスープ、わたしは気分で選びます。

どれも3分以内でできて、
火を使わず、洗い物も最小限。

でも、ちゃんと「食べたな」って思えるから、
体だけじゃなくて、心までちょっと安心できるんです。

“味”じゃなくて“気持ち”を整えるごはん

気力がない日にいちばん大事なのは、
「栄養バランス」や「彩り」じゃなくて、
そのごはんが、自分の心をどう包んでくれるか──という視点かもしれません。

どれだけ手が込んでいても、
気持ちがしんどいときには、重たく感じてしまうこともあるし、

反対に、
ただお湯を注いだだけのスープが、
なぜか涙が出そうになるほど、沁みる夜もあります。

わたしたちはきっと、“ごはん”を食べているようで、
その日一日の自分を、そっと癒しているのかもしれません。

「味より気持ち」。
ごはんって、そういうやさしい役割もあると思うんです。

台所に立てた自分を、ちょっと褒めてみる

ごはんを作る気力がない日、
それでも冷蔵庫を開けて、何かしようとした。
カップにスープの素を入れた。
お米をよそうために茶碗を手にとった。

──それって、けっこうすごいことなんです。

何もしたくない気持ちに逆らうことなく、
でもちゃんと、自分のためにひと手間だけかけた。
それはもう立派な「生活の火種」だと、わたしは思っています。

わたしたちはよく「頑張ったら褒める」って言うけど、
むしろこういう、「ちょっとだけやった日」こそ褒めるべきかもしれません。

「今日はスープだけ飲めた、自分えらい」
「ちゃんと箸を持った、わたしすごい」
そんな風に、小さな成功をそっと撫でてあげる。

きっと、それだけでも明日の気力って少し回復するんです。

疲れた日こそ、器と空気が支えてくれる

どんなに手抜きなごはんでも──
お気に入りの器に盛りつけると、
なんだかそれだけで“生活してる感”が湧いてくること、ありませんか?

たとえば、
・小さな木のトレーに、ごはんとスープを並べてみる
・箸置きを使ってみる
・豆皿を一枚だけ添える

火を使わない日でも、
食卓には「整える余地」があります。
それは、がんばらない日の中でできる、
ささやかな演出──というより、自分への丁寧さなのかもしれません。

そして、灯りも大事です。
蛍光灯じゃなくて、間接照明やキャンドル、
提灯のようなやさしい光に包まれると、
食べることそのものが「回復の儀式」に変わります。

器と空気が整ってくれると、
わたしはもう、それだけでちょっと元気になれます。

“なにも作れなかった日”にも、価値がある

「今日はなにも作れなかった」
「食べられたけど、なんだかモヤモヤする」
そんな夜も、もちろんあると思います。

だけど、その“モヤモヤ”すら、ちゃんと生きている証なんです。
体が空腹を感じるということ。
心が気持ちをキャッチしてるということ。
なにもできなかった日も、
“感じている”ことに、ちゃんと意味があるんです。

それに、作れなかった日があるからこそ、
次にお味噌汁をちゃんと作れたとき、
「あ、今日はちょっと元気だな」って気づける。

“ゼロ”の日は、失敗じゃありません。
それは、波の底にある「静かな火種」──
明日の自分がまた立ち上がるための、やすらぎの場所です。

結び|じゃあ、お茶が冷めないうちに──ゆっくりどうぞ

ごはんを作る気力がないとき、
その夜をどう過ごしたかって、
あんがい自分の記憶に残っていたりします。

「この日、自分を責めなかった」
「この日、器に盛るだけで終わらせた」
「この日、温かいスープを飲んだ」

それってぜんぶ、自分を守った記録です。

あなたの今日の一杯も、
明日の気持ちをすこしだけ楽にしてくれるかもしれません。

……じゃあ、お茶が冷めないうちに──
自分へのごはんを、ゆっくりどうぞ。

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